幸せを感じられないのはじぶんでじぶんを捨てようとしているから。他者になりたがる心理とは

   2016/05/26

じぶんに自信がない。
きっと、そう感じている人は多いと思います。
 
アドラー哲学
わたしは、じぶんに自信を持てているほうではありません。
どこか、劣っている気がする。
 
もちろん、人間なので完璧であることなんて無理だと思うのですけど。
でも、どこかでぽっかりと、心に穴があいているような、そんな気持ちを抱えていました。
 
今日は、ひさしぶりに「心の片付け」をしていきます。
 
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ぱっかんを経験したのだけれど

心屋仁之助さんのブログを読まれている方なら、”ぱっかん”という言葉を耳にされたことがあると思います。
 
わたし、以前その”ぱっかん”を経験しました。
 
「それだけはアンタなんかに言われたくない!」って思ってるところに、答えがある。
 
でも、そのぱっかんは長続きせず、いつしか消えていってしまいました。
心が風になるってこういうことか!って、とても実感できていたのに。
 
でも、それって仕方のないことみたいです^^;
 
1度ぱっかんしたからって、すべてが変わることなんてない。
(そのときは、すべてが変わったと実感できていたのは確かなんですが。)
 
嫌われる勇気にもありますが、心の片付けのような「じぶん自身を見つめること」というのは、一生涯にわたって続くようなもの。
 
何度も何度も向き合って、少しずつ答えをじぶん自身で導き出していくことなのだそう。
 
なにかに悩んだり、考え込んだり、ひどく気持ちが落ち込んだとき、どうしても、1度で元気になる方法や答えを探してしまうけれど。
それはできないってこと。
 
少しずつじぶんを学び直していくことになる、ということなんです。
 
だから、1度のぱっかんですべてが解決はしていなかったのでした。

嫌われる勇気からの学び

ここ最近、またじぶんのことでいろいろユラユラ揺れていて。
とても無価値な人間なんではないだろうか、という思いが、わたしの心にまとわりついていました。
 
わたしがあの場所へいく価値などない。
わたしのことなんて、だれも歓迎していない。
わたしはきっと嫌われている。

 
だれにも言われていないのに、こんな感覚に陥ってしまったんです。
 
以前だととても耐えられるような心境ではないのですが、やはり1度でも”ぱっかん”を経験していると、ユラユラしながらも、見つめ直すことができるのかもしれません。
 
また、心屋さんの本を読んだり、講演会のことを思い出したり、嫌われる勇気を読んだりして、じぶんを見つめなおしていました。

じぶんはじぶんである、ということ

あの人のように、すごい人になりたい。
あの人のように、愛されたい。
あの人のように、行動的になりたい。

 
そう思ってしまうことってありますよね。
 
じぶんなんてどうしようもない人間よりも、わたし以外のだれかになりたい。
そうしたほうが、きっと幸せだ。
 
わたしも、そう考えていました。
でも、嫌われる勇気の一節を読んで、わっ!とある感情が湧き上がってきたんです。
 
嫌われる勇気は、青年と哲人との対談方式で話が広がっていきます。
 
青年は、「ひまわりのように明るくて人当たりのいいYさんのようになりたいけれど、そんなことは到底できない」と言います。
 
「人の気質や根底は変えられない。傾いている上にいくら積み上げても、いつかガラガラと崩れ落ちる」と。
 
哲人はこう返します。
「どうしてYさんのようになりたいのか?別人になりたがる、その目的は?」
 
青年は答えます。
「わたしはYのことが好きだし、Yのようになれたら幸せだと思うから」と。

哲人はまた返します。
「では、いまは幸せではないのですね?」ーーーーー

いまのわたしに、ぴったりの一節です。
わたし以外の何者かになれたら幸せだ、と感じているのですから。
 
そんな別人になりたがる青年に、哲人はこう続けました。

あなたはいま、幸せを実感できずにいる。
なぜなら、あなたは自分を愛することができていない。
そして、自分を愛するための手段として、「別人への生まれ変わり」を望んでいる。
 
Yさんのようになって、いまの自分を捨てようとしている
 
違いますか?

わたしは、ハッとしました。
ほかでもないじぶん自身を、捨てたいと考えていると突きつけられたからです。
 
わたしが、わたしを捨てる・・・??
わたしを捨ててどうするの??
・・・そんなの、イヤだ!!

 
って、ボロボロと泣けてきたんですよ。
どうしてそんなにわたしのことを嫌うの??って。
 
捨てようとしてごめんね、本当にごめんね・・・って。

幸せになる勇気

どうして、わたしはじぶんをここまで拒否しているんだろう?
 
わたしはすごくない。
わたしは愛されてない。

 
じぶんでじぶんのことをそう決め付けている。
 
どうしてそう思うのか、原因なんてわかりません。
きっと、いろんなことがあったんでしょう(笑)
嫌われていると思い込んでいたほうがいい、なにかがあるのかもしれません。
 
だけど、わたしがわたし以外の何者かになろうとしても、現実としてなれるわけがありません。
 
そして、わたしがわたしを拒否し続けていたら、いつまで経っても、現実感も持てないし、生きている実感も持てない。
 
わたし自身が、「このわたし」を好きにならない限り。
 
これまで、インナーチャイルドとかなんとかって、全然信じていなかったんです。
そんなもの、どうとでも言えるでしょって。
 
でも、今回のことで、インナーチャイルドの存在がわかった気がします。
 
わたしが、わたしを傷つけている。
ほかのだれでもない、このわたしが!

 
小さなわたしが、捨てないで!って、置いていかないで!って、もう傷つけないで!って言ったような、そんな感覚に包まれました。
 
わたしがわたしを捨てていったら、だれがわたしを守ってくれるんだろう。
 
ちゃんと世界を見てみたら、わたし以外のだれも、わたしのことを傷つけたり、否定したりはしていないのです。
 
わたし以外の何者かになりたいだなんて・・・
娘たちが知ったら、どう思うのだろう。
 
お母さんがいなくなっちゃうって思うかな。
そう考えると、なんだか泣けてくる。
 
もし、いまのじぶんが嫌いと感じることがあるのなら。
じぶん以外の何者かになりたいと感じているのなら。 
 
本当に、「じぶん」というすべてを捨てたいのかどうか、向き合ってみよう。
本心が、ちいさなじぶんが出てきてくれるかも。
 
だれからも守ってもらえず、じぶんからも傷つけられて、小さくうずくまっている幼い頃のじぶんが。
 
“大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである”
アルフレッド・アドラー




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