母とものを保有する価値観は合わないからこそ、じぶんの始末はじぶんでつける。
以前、母と片付けの話になりました。
わたしが、整理収納アドバイザー1級の試験を受けた話をしたのがきっかけです。
「あんたが帰ってくるまでにモノを隠しておかないと、全部捨てられる」
親子なので、この言葉を冗談として受け取ることができますが、整理収納アドバイザーは、決してモノを捨てるための資格ではないんですけどね(涙)
でも、わたしは実家に帰るたびに、いらないものを捨てているので、そう言われても仕方ないのでしょう。
いつかじぶんに跳ね返ってくるモノ
結婚と同時に、必要なものだけを持って、家を出てきました。
だから、実家にはまだまだわたしが使っていたものが置いてあります。
わたしは捨てたいんです。
だって、もう使わないですから。
でも、母は捨てられないんです。
わたしが持っていたものに、わたしとの思い出が刻まれているから。
親子関係とモノの関係も、とても複雑に絡み合っていますよね。
できれば、親子といえどもモノを捨てることに関して、お互い口を挟まないほうがいいんです。
親が捨てるといえば捨てさせてあげればいい。
子どもが捨てるといえば、捨てさせてあげればいい。
わたしは、わたしの子どもたちが使っている洋服やおもちゃをどんどん手放しています。
壊れたり、汚れのひどいものは捨て、まだ使えるモノは寄付をしてきました。
その話をしたときに母が、
「持っていたら親子で使えるものもあるのに、もったいないね。」
って言ってきたんです。
母が作ってくれたものも、友人に譲ったりしたことを伝えたので、少しすねてしまったのかもしれません……。
ただ、わが家はマンションです。
当たり前の話なのですが、ものを保管するための収納には、限りがあります。
戸建てのように、あとから増築もできません。
入る分だけしか、持てないのです。
選ぶ権利があることを知る
たとえ子どもたちが親になり、孫に使わせられるようなモノがあったとしても、子どもには子どもの趣味があるからなぁ……って考えるんです。
というよりも、わたし自身、じぶんで使うものをさほどじぶんで選べていないように感じているんです。
小さな頃から。
結婚するときも、実家にある不要品をかき集めて持たせられたため、食器もすべて母や祖母のお下がり。
もちろん、それで助かった面はありますが、やっぱり、じぶんで選び取るということをしたかった……という気持ちが拭えずにいます。
わたしは、選ぶ権利が欲しかった。
わたしが使うものは、わたしが選びたかった。
だから、たとえいま、ものを捨てたり手放したりすることに対して、母がもったいないって言ってこようとも、わたしはものを手放し続けると思います。
だれにもらったものであろうと、本当に必要な人のところにいって使ってもらえるほうが、わたしもうれしい。
タンスの肥やしにだけはしたくありません。
使い切る暮らしより、まずは手放す習慣を
母はものがなかなか捨てられません。
捨てるときに、お金のことがチラつくといっていました。
だから、使いきれる方法を選ぶ、と。
使い切る生活は理想ですよね。
それができれば、ものは増えないのですから。
でも、いくら使い切りたくても、モノが入ってくるペースが、出て行くペースを上回っているのなら、ものは絶対に減らないということ。
モノが減らないということは、いつまでも収納グッズにお金を掛け続けるということです。
わたしもかなり後悔しています。
先日も、カビがきて買取不可だったタンスを捨てました。
罪悪感があります。
大事に使ってあげられなかった罪悪感。
そして、うまく使えなくなってきたときに、カビがくるまえに、もっと早く手放しておけばよかったという後悔。
……そして、そのタンスが、母が選んだタンスだということも、罪悪感をさらに大きくしています。
ものを買うときに、他人の意図を入れないほうがいい。
ものを捨てるときに、スッキリと手放せなくなるから。
わたしは、わたしの価値観でものを選んで買っていきたい。
母の意図や、販売者側の意図を入れこまず、じぶんの意思で選びたい。
ものを片付けてきて、一層強く、そう思っています。